都郷 蠖堂 つごう たくどう
   

答勧酒
莫怪近來都不飮
幾回因醉却沾巾
誰料平生狂酒客
如今變作酒悲人
  勧酒に答える             (白居易)
怪しむ莫かれ 近来 都(す)べて飲まず
幾回 醉に因って 却(か)えって巾を沾すを
誰ぞ料(はか)らん 平生 狂酒の客
如今 変じ作す 酒悲しむ人
133.5p×30.0p

安政5年2月27日(新暦 1858年4月10日)生〜昭和19年(1944)5月23日歿
都郷辰蔵の長男として阿波国美馬郡一宇村伊良原(現 徳島県つるぎ町)に生まれる。名は角太郎、号は蠖堂のち鐸堂。
7歳のときに宮内安芸に入門し、懐素の書を好んで学んだ。15歳から2年あまり田辺籠仙に書を学び屈伸堂蠖堂の号を受ける。
名東県師範学校卒業後,小学校訓導となったが,23歳で和歌山に渡り,明治15年(1882)、和歌山県の森田無絃の塾で儒学を学んだ。31歳で再び徳島県に帰郷し、明治42年(1909年)52歳で退職するまで小学校長等を務めた。
以後、往年の研鑽によって独自の書論を唱え『筆道革新歌』『草訣百韻歌刪修』『大正草字鑑』『ひらかな運筆法』、『運筆七則』、『字徳学全』、『日米親善論』等の著書が有る。
54歳頃より視力が衰え始め,後に歩行困難となったが,子や養女に手を引かれ全国各地を遊説した。晩年にかけて,目が不自由になりながらも書作を続け,特に草書の作品を数多く書き残している。
「蠖堂書」の下に、朱文の「都郷角印」、白文の「蠖堂」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E9%83%B7%E9%90%B8%E5%A0%82
http://www.bungakushodo.jp/02info/06exhibition/03shodo/shodo.html
http://www.ic.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/pic-1846.html
http://www.weblio.jp/content/%E9%83%BD%E9%83%B7%E9%90%B8%E5%A0%82


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